経済が成長しても、人の心は豊かにならない

この投稿は、上辺だけの新規事業やマーケティングにより
虚無な経済成長が起きてしまったことへの問題提起です



経済性が無いと継続運営ができないという資本市場の前提があり
多くの新規事業が新しい収益の柱を作るべく創出されます。


本来、新しい事業とは何か困っていることの解決のためにありますが僕が見てきた多くの新規事業は企業の売上のため。
そしてそれをつくる人となれば「昇進のため」「上司に言われているから」「仕事だから」などの理由が続く。


つまりこの社会を”良くする”事業の多くは、経済性のリターンがスタート地点となっており
”人々がお金を払うであろう課題解決のみ”に目を向けられているのではないだろうか。


そこに「人々の豊かさ」という視点は入れなくてもいいのだろうか?



こういった視点を書くと

・利便性が上がった社会の方が豊かさもあるのではない?
・売上が立つということは顧客が喜んでいる証拠ではないか?

そういった考えも生まれるかもしれません。



もちろん全ての新規事業や利便性が悪だという極論は言えません。
ただ“課題解決“と言われているほとんどの“課題“は、
それが解消しようがしまいが実は人々の豊かさには直結しない上辺の課題になっている気がしてなりません。



その”上辺の課題解決“が進み、便利な社会になろうが
心の豊かさが生まれない世の中になってしまっているのではないか、
そんな課題意識が僕の持っている視点です。



更に、便利な社会になるといった「利便性」に着目しすぎることに懐疑的になることが多々あります。
日本では生きていくための最低限の利便性はすでに叶えられておりこれ以上何を望むのだろうと思うからです。



文明が進んでいない東南アジアの地方に行くとそれを痛感させられます。
日本では当たり前のように享受できている斬新なテクノロジーは一つもない場所はたくさんありますが
そこで見れるのは豊かさで満ち溢れた、子どもたちや、家族の笑顔がたくさんあります。
数値化することはできないけど「豊かだなあ」と口から溢れてしまう景色がそこには広がっています。



それから「売上が立つということは顧客が喜んでいる証拠」というのは必ずしもそうではないと思っています。



上辺の課題であってもマネタイズができてしまうのは見せかけの課題に見せかけたストーリーを作り
不必要な需要の延長を生み出す上辺のマーケティングが発達してしまった証拠でもあると思う。



例えば脱毛の広告はどうだろう。



「肌がすべすべじゃないと異性から嫌われてしまうよ」
「スムーズな肌を見せて夏を迎えよう」



不安を煽ることで消費者を行動させたり

本質的ではない新しいスタンダードを作り出し

消費者心理を不必要に動かす手法が生まれていることが多くないだろうか



こういった現象を絶妙に世の中に溶け込ませる課題解決”風”マーケティングだけが広がり

人間の豊かさには繋がらない”課題”ですらも収益化できるものに変化させていないだろうか。



世の中に残るのは空虚な利便性や心に穴が空いた満足感だけであり

社会には心の不安感が重くのしかかり続けている気がする。


僕は人びとが豊かに生きる原理原則は本来もっとシンプルなものだと思うし

心に希望をもたせるのは「問題解決」ではないと思っています。



どうすれば便利な社会になるのだろう、ではなくて

どうすれば豊かな社会を作れるのだろうか、と問いを変えて発想をし続けていたい



そして経済社会の中でもそんな変化が起きるべきだと思います

「経済が成長しても、人の心は豊かにならない」
金田謙太

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