なぜ大人になっても自己分析が必要なのか-本質を深く見つめること

ぼくは自己の整理を行うことが好きで
学生時代のみならず社会人になってからも自分に向き合う時間を多く取っています

そのおかげもあってか
比較的その時その時で自分の好きなことや熱量を向けたいことを見つけられ
時間を過ごしてきました


”自己分析”という言葉は主に就活生の時期に使われる言葉ではないでしょうか
言わば自分自身のことを見つめ直し、その特性にあった会社を見つけ出すこと

ただぼくは自己を知るための活動が学生時代で終わってしまうのは
非常に勿体ない
ことのようにも感じています


10年以上、自己分析(個人的には”自己の整理”と呼んでいますが)を定期的に行ってきた身として
なぜそれが重要なのか考えてみました


結論から言うと
『経験が増えると、見えるようになる本質が深くなり、新しい自分を再発見できるから』 
だと思っています

少し長いですね


┃本質とは

言葉の定義から始めると”本質”とは何でしょうか?
本質=「最も重要な要素」 だと定義しています


特定の事象や概念があるときに
それは複数の構成要素に分解することができます


その構成要素においてすべてが重要、といったことは基本的に多くなく
「これが最も重要な要素だ」といったモノが本質です


よく ”本質的な話ができていないよね”
といった言葉を耳にしますがそれは
”最も重要なことについて話せていないよね”
と言い換えることができます

なぜこの言葉の定義が必要だったかと言うと
自己分析とは「自己の本質的要素を見つけ出す活動」だと思うからです

そして改めてですが
自己分析を行い続けるべき理由は
『経験が増えると、見えるようになる本質が深くなり、新しい自分を再発見できるから』 

つまりこういった状態を指します

 

経験を重ねるほど
「本質の本質」にたどり着くことができます




┃なぜ本質を深くする必要があるのか

最後に、そもそもですが
なぜ本質を深く見つめる必要があるのかについて




これは深い本質にたどり着くことで、自分が行うべき「行動」が明確になり

「行動」が明確になることで「新しい発見」を連れてくるからだと定義しています




そして「新しい発見」は人生に「豊かさ」を生み出します



本質の深堀り→行動の明確性の向上→新しい発見→豊かさの創造
の順番です




自己分析を途中で行わなくなることは
・自分が本当に好きかもわからない
・または心から熱量を注げるかどうかもわからない
そのような感情を持ち、不明確な行動を行い続けることと同義であると思っていて




不明確な行動を何となく続けてしまうと
新しい発見も無くなることが多いため
人生の豊かさはどこか減ってしまうのではないかと思っています

・もやもやしている
・なんかぱっとしない

こういった気持ちになることは
「不明確な行動」を続けている証拠だと思います





そんな時こそ一度立ち止まり
自己分析=本質の深堀り を行ってみてはどうでしょうか





一度や二度で答えは出てきませんが
そのときに最適な本質を見に行くことは可能です



日本という国の教育システムや文化の課題は
受験→就職→転職と慌ただしく時間が流れ
自己について考える時間が設けられていないことにあります




何も行っていないことが
悪だと言う風潮すらあるでしょう





ただ豊かな人生を歩んでいく1つの方法として
定期的に立ち止まり
自分に向き合う時間を持つことが
大切ではないでしょうか

「なぜ大人になっても自己分析が必要なのか-本質を深く見つめること」
金田謙太

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