人間性の回復

┃生きていること

「生きていること」とはなんでしょうか?


心臓を動かすこと
呼吸をすること
そんな生物学的な「生」を想像する人もいると思いますし


自分の好きなことを行うこと
大好きな家族と時間を過ごすこと など
生物学的な話ではなく
心の在り方について考える人もいるでしょう


むしろ多くの人にとって
生物学的な「生」は当たり前のことで
後者のような心の在り方について考える人の方が多いかもしれません


そういう意味で私も例に漏れず
本当に自分は「生きているのだろうか」と考えることがあります


新しい発見に心を躍らせ
少年ように好奇心に満ちあふれているだろうかと


こんなことを日々考えていると
人の幸せをつくるにはこのような心の在り方としての「生きている」を達成することが
非常に重要な要素であることに気づくと同時に


一方でそれを達成するには
非常に困難な環境になっているのではないかという
ある種の危機感を感じています


今回はこの心についての「生」をいかに達成するか
そこにどんな阻害要因があるのか
思考を巡らせてみたいと思います


┃無意識下での目的形成により消された「生」

今日の日本を見ていると
”心から生きている大人”はとても少ないのではないかと思います


私はこの心の「生きている」を取り戻す要素として
2つのことが重要だと捉えており それは


・1つ目は「目的のない時間を尊ぶこと」
・2つ目は「自分で決めるという自律性を持つこと」です


しかしこの双方の要素を得ることは
資本主義社会で生きている私たち現代人にとって
非常に難しい状況にあります


「目的無く」生きることが難しく
「自分で決められない」状況になっているのではないかということです


その阻害要因を資本主義の作られ方から考察してみます

1つ目の背景は
過度な資本主義社会が発達し
商品やサービス一つ一つの収益最大化が前提として社会基盤が作られているため
購買を促すための無差別な企業からのメッセージが
人間性とは関係ない”目的”を生み出してしまう
からです


この状態でいると自分で決めたことではないにも関わらず
次から次へと頭に入ってくる他者(他社)からのメッセージにより
次はこれをやろう、あれをやろう、になってしまいます

 

資本市場では「生産者」と「消費者」という
2パターンの登場人物がいますが
上記の状態は生産者のメッセージによって常に消費者にされる仕組みだと言えます

 

また2つ目の理由として
資本主義社会では自ら資本を形成し生活を成立させる必要があるため
月曜日から金曜日、一生懸命に働きましょうという枠組みの中で労働する状況になります

そうなると自分の意思がなくとも
今度は意図せず常に生産者の一部として時間が過ぎ去ってしまう状況が往々にして現れてしまいます

 

これらをまとめると
・資本主義社会で構築される無差別なメッセージと
・この労働生産市場の環境が


「目的無く」生きることが難しく
「自分で決められない」状況にしているのではないかということです




このように資本主義社会が
人間らしい生活を排除してしまった現象は
無意識下での目的形成と呼ぶことができます

 

無意識下での目的形成とは
自分で設定した目的のもとに生活をしていると”考えていても”
本当は
他者(他社)により設定された目的の元、行動を起こしてしまっていることです





つまり「生きている」を作り出すために重要だと捉えている
・「目的のない時間を尊ぶこと」
・「自分で決めるという自律性を持つこと」
これらの要素を排除する仕組みが資本主義社会の力とも言えます





┃人間性の回復

では現代に生きる私たちが心の「生きている」を取り戻すにはどうすればいいか それは
強い「意思」を持つことにより自分自身に不必要な目的を取り除き「生きている」を達成することだと思います



この「生きている」を達成しようとする活動を
人間性の回復と呼んでいます

 

人間性の回復は
無意識下での目的形成を防ぐ役割があり
過度に発達した資本主義の中で
人が人らしい心を取り戻す手段となります


この人間性の回復という活動無しには
人間本来が享受できる豊かな感受性や
本来得られるべき深い幸福度というのは
もう取り戻せないのではないでしょうか

この資本主義の仕組みの中で使うべき意思は3パターンあると考えてます
・パターン1:消費の在り方→自分にとって本当に必要なものは何なのか?豊かにする消費は何なのかを考える
・パターン2:仕事の在り方→自分らしい仕事とは何なのか?
・パターン3:人生の在り方→資本主義の座組を取っ払い、本当に自分らしい活動とは何なのか?

この3パターンの意思を行うことにより
資本主義の活動に飲まれることなく
心が豊かな自分らしい生き方を達成できると考えます


私はここで資本主義自体の否定を行いたいわけではなく
資本主義社会における人間性の作られ方を観察し
そこで使える最後の武器は人の意思なのではないかと希望を導きだすことです



意思を持ち、意思を育むことにより
自分の中に眠っているやるべきこと、そしてやらないことを決め(自律性)
自然と湧き上がる心のまま行動すること



自然と湧き上がる行動こそが
目的のない時間であり
人間性と呼べるものだと思います

┃人間性とは無為を為すこと

この考え方に近い例として老子の言葉があります
彼は「人としての究極の生き方は“無為自然”な道のあり方である」と、説きました
自らの行ないを無為自然に保つ“無為を為す”ということです


その意味は
文字どおり何もしないことではなく
自然にあるがままのふるまいでいることであり
人間的な知恵を巡らすところに、かえって人間の不幸が生まれると考えていたそうです





先述した「他者(他社)により設定された目的の元、行動を起こしていること」とは
他人が”人間的な知恵”を巡らせた元に作られた話であり
やはりそこに幸せは待っていないと言い換えることができます





私はこの「無為を為す」という考え方は
人間性を取り戻すための重要な思考の仕方であると考えていて





他者(他社)により設定された目的ではなく
本当に自分らしい決断をした自律性を持って生きられているのだろうかと
人間性を持っているのだろうかと
「それを意思を持って考えなさい。」
時代を超えて教えてくれているように感じます







金田謙太
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