非効率の効率と人間的関係性

人類が時間や効率性を意識するようになってからどれぐらい経っただろう。
いつしからぼくらは時間に追われるように生きるようになり
そこに囚われながら生きている。

朝起きる時間を決め
学校や会社に行く時間があり
終わる時間になれば帰宅をする。

「もっと急がないと。」「締切に間に合わせないと。」
そんな言葉を使いながら「時間」という目には見えないが
必ず”そこ”にいる存在に意識を奪われている。

どこかで聞いたことがありますが
「目覚まし時計」のような”目を覚ます装置”を発明し
自ら休息の時間を強制的に消しているの動物は人間だけだと言います。

この言葉を書いているぼくも
今世界のどこかで偶然この文章を読んでいるあなたも
大なり小なり「時間」という概念に囚われながら生きているはず。

時間という概念は、目に見えていなかった”時の長さ”に明確な指標を作り
僕らはその指標の中で時間を「使う」ようになりました。
つまり時間の誕生によって人生は「過ごす」ものではなく「使う」ものに変化したと言えます。

さらに資本主義社会の加速も相まって「効率化」という
短い時間でいかに効果を最大化するかを強く考えるようになりました。
そんな変化があり現代では、効率については考えるが、非効率について考える人は少ないのではないでしょうか。

知らず知らずのうちに時間に囚われ、効率性ばかりを意識する時代だからこそ
あえて非効率は何を与えてくれるのかを考えてみたいと思った。

(時間という概念がなかった時代は、非効率という概念がそもそもなかったはずで
今こうして「非効率」について考えていることはある意味「効率」に囚われているという矛盾も抱えつつ…)


改めて非効率が育むものについて思考を進めたい。
今回は非効率が育むものの一つであると考える
「他者との関係性」について思考を巡らせてみたいと思います。

┃非効率と関係性

「さあ、効率的に仲を深めていきましょう。」

なんて会話から始まる関係は存在しない。
”効率的に”他者との関係性を深める、なんて世界は想像しがたいし
「効率」と「関係性」を一つの文章の中で使ってみると強い違和感を覚える。

おそらく無意識の中で関係性は何気ない時間の中で育まれるもので
長い期間をかけ信頼をつくり、
成長していくものだと理解しているからなのかもしれません。

説明するまでもないかもしれませんが
強い信頼は一夜で生まれるわけはなく、構築までに長い時間を要します。
言い換えると「時間」という係数が大きく関わってきます。

つまり、他者との関係性を作っていく上では
効率性からは作られない共感や信頼を基盤にしているため
非効率性を取り戻してこそ関係性が構築できるのではないだろうかと考えます。

一方で今生きている現代社会では「効率化」という思考により
インセンティブが作られる資本主義社会が基盤として作られているために、
人間的関係性を構築する非効率性を基盤にした社会との間に大きな矛盾が生じているのではないでしょうか。

だからこそ改めて非効率というものについて考えなければ
社会基盤の効率化に意識を奪われ続けてしまい、本来持つことができる人間的な関係性というものを
失ってしまうのではないかという危機感を持っています。

┃人間的な関係性とは

人間的な関係性の定義が必要だと思います。

一言で言えば損得勘定を抜きにして共感・信頼できる関係だと思っています。

どんな能力を要していて、”役に立つか”。
相手と共にいることによって自分にとってどれだけ得をするのか。
そんな有用性の世界観ではないところで助け合える関係性のことです。

現代ではそういった関係が失われていないでしょうか。
例えば企業の採用活動は最たる例です。

多くの民間企業は利益を最大化させることに目的を置かれており
その企業の”経済的貢献”をできる人が採用されます。
つまり特定の目的に対して、その人が”便利でなければ”コミュニティに参加できない村と言えるでしょう。

もちろんそこに共感や信頼というものも無いわけではないですが
その人が役に立つのか立たないのかという合理性の上でそれらの共感や信頼が立っているため
本来の人間的な関係性とは違う現象だと捉えています。

効率化によって奪われた本来の人間的関係性。
その問題意識を捉えつつ次にどのようにすれば関係性を取り戻すことができるのかを考えます。

┃人間的な関係性と2つの仮説

人間的な関係性を取り戻す上で非効率性に再度意識を向ける重要性を書きましたが
ただ単に非効率な時間を取り戻しさえすれば
その関係性を構築できるかと言うとそうではないと考えています。

非効率は重要な前提となりますが
それとは別に理解すべき要素が2つあると考えています。


①非効率と怠惰は違うということ。
②非効率の中にもリズムがあること。

を理解することです。

┃①非効率と怠惰は違う

非効率という言葉を聞いた時にゆとりのある時間をイメージし
強い目的意識を持たずに時間をただ過ごすことを想像しやすいですが
人間的な関係性を育むという文脈においては特に

「非効率=何も行動しないこと」
といった後ろ向きの姿勢ではいけないと考えています。

非効率の中にも前向きな姿勢を保たなければ
ここで言う”非効率の効率”のようなものは達成できないのではないかと考えます。

怠惰
[名・形動]なまけてだらしないこと。また、そのさま。「―な人」

何もしたくないから非効率を求めるのではなく
豊かさをつくりたいから非効率をつくる。

非効率を考える時にそんな姿勢の違いはしっかりと作らねばならないと思うのです。

意思を持ちながら「お互いの立場に立って物事を考えられる力」。
すなわち共感しようとする能動性がなければ良い関係性は生まれません。

そう思うと非効率性というものはあくまでも「前提条件」なのかもしれません。

┃非効率とリズム

2つ目はの非効率のリズムに関して。
非効率性の中からの関係性を生み出すには上記の能動的な非効率性を考えるだけではなく
対象と同じリズムを刻んでいることが重要だと考えています。

リズムの同期作業を無くして人は他者と強い関係性を作れないのではないかというのが2つ目の仮説です。

例えば”生活リズム”という言葉がありますが
生活リズムが崩れると体調を崩してしまい、休息が必要になります。

同様に、関係性を育むための時間を過ごしていると思っていても
非効率のリズムが崩れていると対象との関係性は悪化すると考えています。

同期したリズムを刻まなければ、育まれるものも逆に崩れてしまうということです。

しかしここで難しいことがあります。
例として扱った生活リズムは、基本的に同じ時間に同じ行動を行うことができれば整っていきます。
対して、非効率のリズムにはそのような単純性を持っていません

たとえば同じ生活リズム(=時間の使い方)を持っている二人が共同生活を送っていたとしても
その二人の関係性が自然と育まれるかと言うとそうではありません。

ぼくら人間には一人一人ユニークなバイオリズムが発生しており
単純な時間のリズムを合わせたところで、必ずしもバイオリズムが揃うとは限らないためだと思います。

そのため非効率のリズムを同期させ関係性を築くことは
基本となっている個々のリズムの違いを認識し
お互いに寄り添っていくいくところに本質がある
と思います。

改めてここで必要となるのは「共感力」だと考えます。

自分主体で生きるのではなく
常に周りに意識を配りながら相手を思いやること。
損得勘定ではなく相手に手を差し伸べることを行う必要があります。

そうすることでバイオリズムが完璧に合わなくても、
少しずつリズムの同期を図ることができ
非効率のリズムを合わせようとする時間の中で関係性が構築されるのではないかと思います。

┃非効率という思考

これからも「効率化の引力」は絶対に止まりません。
だからこそ社会が動かないのならば、
個人が非効率を意識し豊かな関係性を自ら育まなければいけないのではないでしょうか。

効率化により失われているものを取り戻す。
逆の言い方をすれば非効率によって生まれるものこそが人間らしいのではないかと考えます。

かくいう私も強い効率化に囚われている人間の一人だと思います。
忙しい毎日を過ごしていた経験があると、どうしても効率的に日々のやるべきことを終わらせる癖がついています。

それでもこうした人間性を取り戻すことを考えなければ、
何かが失われていく感覚だけが残ってしまい違和感のある日々になってしまうのです。

これは自分なりの危機感の提示であり、
日々感じている違和感の言語化のメモでした。

「非効率の効率」
金田謙太

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