言葉にする無責任 言葉にしない責任

人類の最大の発明と言ってもいい「言葉」
僕たちは物理的に具現化できない事でさえも言葉にすることで
文明の発展を遂げてきました

人類は、主観としての認識だけではなく、
他人も同じものを認識しているという認識を持つことによって、虚構を共有する能力を身に付けた。
この能力こそが、人類の持つ集団としての力を発揮させることに大きく役立ったのである。

「言葉」にすることというのは
特定の事象を「概念化」することであって
概念化をできることが人の「理解」に繋がります

言葉が理解されるということ

今ここで言葉を書いている僕も
言葉を読んでいるあなたも
この現象の中に居ることになります

「理解」することは僕らの人間活動に置いて重要な活動になっており
例えば「火が熱い」ということを「理解」できるからこそ
「火は触ってはいけない」という「行動」を導くことができます

つまり「理解」が重要な理由は「行動」をデザインする活動であるからです

言葉が理解され、行動に変わる

更にさかのぼれば、インプット情報である「言葉」が
あなたの「行動」を支配している関係
となっていることに気づきます

言葉が行動を作る

「理解」が重要と話しましたが
本質的には元の「言葉」というものが自分の「行動」を作っているため
最初にインプットする「言葉」が最重要項目となるのです

人生とは今の「行動」の積み重ねによってできているので
「言葉」の質によって「人生」は良くも悪くも変わってしまいます

インプットされる言葉は回り回って、人生をつくっている

・日々自分が他者から聞いたり、読んだりする言葉
・日々自分で発する言葉
(自分で発した言葉も自分で聞いてる言葉に入ります)

インプットする「言葉」を意識しなければ
自分の描きたい「人生」を作ることは難しいのではないかと思います

 

┃意思

この「言葉」から「行動」へと変わる関係性の中で
活用できる強い武器があります
それが「意思」です

意思が活躍できる場所は2箇所あり
01. 最初のインプット情報としての「言葉」を得る時
02. そして「理解」から「行動」へ遷移するとき
 です

01.インプット情報の「言葉」に意思を加えること

「言葉」が「行動」を作ってしまうのですから
欲しくない言葉は最初から取り入れない選択が重要です
ただこれは「意思」を持っていなければ達成できません

更に、自分がどのような言葉を取り入れるべきか・取り入れないべきか?
といったことも日々「意思」を持って自分に向き合っていなければ
簡単に把握できることではない
と思います

僕の場合は「できない」「めんどくさい」「しょうがない」などの言葉は
インプットしないようにしています
自分の人生に悪影響を及ぼすことを知っているからです

頻繁にそういった言葉を使う方とは
意図的に「意思」を持って距離を置くようにしています

 

02. 「理解」から「行動」へ遷移するときに意思を加えること

現代は大情報社会です
上記のように気をつけていたとしても
取り入れたくない情報が入ることも多々あります

また、欲しくないわけではないですが
「なんか違和感を感じるな」といった事もあります

こういったときも「理解」の後に
自分の「意思」を加えることで
自分の「行動」をデザインすることが可能です

・あの人はこう言っていたけど本当だろうか?
・あの人の言っていることは正しいことだろうか?

一度立ち止まり「意思」を持って考えることで
自動的に「行動」へ遷移することを防ぐことができます

 

┃言葉にする無責任 言葉にしない責任

タイトルにした「言葉にする無責任」とは
無責任に言葉を発することを意味しているわけではなく
意思を持たずして無責任に言葉を取り入れることを指します

次に「言葉にしない責任」とは
強い意思を持って言葉にしないこと(→行動を作らないこと)を
決めていくことを指します

・誰の言葉を聞かないのか
・誰の言葉を読まないのか
・聞いたり読んでしまったとしてもそれを取り入れないのか

意思を持つことですべてが変わると思います

 

┃意思の貧しさが日本の課題

この「意思」について自分が感じている課題を書きます
それは意思を育てるための土壌が整っていないことです

「言葉」の重要性について書いてきましたが
子どもたちを含めた若い世代は
「言葉」を選択することが容易ではありません

親の言うことは絶対として育てられることも多々ありますし
ひとたび学校に入学すると、先生からの言葉が非常に大きくなり
「意思」を持つ余白がありません

更に
・”正解はコレ”、と教える教育
・”昔からこれをやっているんだ”と押し付けられる慣習
・”年上の先輩が言っているから”と物事が決まる年功序列 など

全てが自分の意思を持つ余白の無さに直結しています

日本社会では「意思」を持つことのインセンティブ設計が全くもって
作られていないどころか
意思を持たずして生きることの方が推奨されている状態になっている
ように感じます

 

┃意思が育たなかった後の世界

さてそれが大人になると変わるか?というと
僕が観察しているところではそんなことはなく

新卒として会社に入社した後は
社長や上司、先輩の言葉が非常に大きくなります
有名な○○さんが言っているから、と
無条件で物事が決まったりもします

結果どうなってしまうか
「意志」が育たない人間ばかりができてしまいます

意思が育たないとどうなってしまうか?
言葉をそのまま行動に転換して生きることしかできなくなります

概念化や理解を行わず、言葉が直接的に行動になっている状態

昨今でも大手企業での不祥事や学校内でのいじめを含め
「それだけの人数がいれば一人ぐらい声を上げて、もっと事前に防げたんじゃないの?」
といった事象が多発しているのは

言葉をそのまま行動に移し、意思を持たない人間が
増えてしまったことが起因している
のではないかと思います

「言われたことを責任を持ってやりました。」
というのは僕からすると無責任です

なぜなら言われたことが社会にとって
あるいは自分の人生にとって間違っていることが多々あるからです
それを意思を持って確かめる責任が一人ひとりにあります

この「意思の貧しさ」が
日本の大きな課題
ではないでしょうか

 

┃意思のある世界にするためにできること

最後に、意思のある世界にするために
必要だと思うことを書いて締めたいと思います

 

┃若い世代の声に耳を傾ける

まずは「若い世代の声に耳を傾けること」
だと思います

慣習や年齢、肩書など
そんな表面的なもので言葉の優劣を決めてしまい
若い声を軽視する現象が日本には多すぎます

そんなことで若い世代の希望や未来を制限しないで欲しい
子どもたちが「意思」を持てる社会を作って欲しい

僕は誰しもが平等に価値のある声を持っていて
平等に扱われるべきだと思っています

 

┃口を挟むのならば、勉強をする

もちろん若い世代に大人が全く声を挙げては
いけないわけではないと思っています
ただ口を挟むのならば勉強をしてくださいと思います

※OECD(経済協力開発機構)の調べ

自分が今持っている考え方や在り方を伝える前に
本当にそれが今の時代に合ったものなのかを知り
他国ではどうなっているのかを知り
勉強し続けた後に伝える必要があると思っています

それができないのならば若い世代に
口を挟んではいけない

 

┃内省時間を持つ

それから自分の「意思」を磨くために
きちんと自分自身に向き合う内省時間を作るべきだと思います

他人の声を遮断し、インターネットを遮断し
自分の心の底にある「言葉」を拾い上げ
自分なりに概念を作っていくことで「意志力」は高まります



・・・

①日々勉強を行い切磋琢磨した後に
②自分の中で内省を行い
③しっかりと若い世代の声を積極的に聞いていく


そうして若い世代の強い力と、大人の力がきちんと結びつけば
きっと日本はまだまだ明るい社会になるし
まだ見ぬ大きな可能性があると思います



金田謙太
「言葉にする無責任 言葉にしない責任」

 
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